覚鑁の身代りに血を流した不動
どんな伝承か
新義真言宗の開祖・興教大師覚鑁は「内観の聖人」と呼ばれ、瞑想の効果が外に現れたと伝えられる。水について瞑想すれば部屋中に水が満ちあふれ、火について瞑想すれば部屋が火に覆われたという。まだ高野山にいたころ、覚鑁は堂に籠って無言の行を修していたが、策謀を疑った反覚鑁の暴徒が堂を襲った。扉を破ると室内に覚鑁の姿はなく、同じ姿の不動明王像が二体あるだけで、暴徒が片方の膝を弓矢で突き刺すと、その傷から真っ赤な血が流れ出た。本物の不動が覚鑁の身代りに血を流したのだという。
原典より
じつはそれが本物の不動像で、覚鑁の身代りに血を流したのであった。—— 呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年))
『呪術と占いの日本史』は、渋谷申博・瓜生中が平成四年に著した日本呪術史の概説書である。縄文の屈葬や土偶、卑弥呼の鬼道から中世の呪詛、近世のおかげ参りと「ええじゃないか」を経て、明治の神仏分離と修験・祈禱の禁止までを、記紀や史書の記事と民俗の断片から拾い上げる。古代・中世二章・近世の四章を小項目に分けて立て、表の歴史に現れない民間信仰を「闇」の系譜としてたどる。