邪気持ちとされた家々の立ち退き願い
どんな伝承か
石見那賀郡雲城村の石田家に伝わる文書によれば、同国上来原村では、実太・政平・卯平・磯助らを邪気の根源であるとして、村からの追放を願い出た。七年前、当村保寧寺の下人幸三郎の女房が病んだ際、大宮司山崎常陸を招いて加持祈禱をしたところ、実太の女房しのから邪気が差し越したと口走った。再度の加持でも同様で、村内の縁家へ次々に邪気が分かれたと語られる。さらに大宮司山崎民部輔を招いた加持でも実太・政平から邪気が来たと口走ったため、村方一統は五人の家族ぐるみの立退きを願い出た。
原典より
この結果、右四名の者は、止むなく横田組・御城廻組・北仙道組等へ立ち退かされてしまった。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。