赤頭巾の亡者が唄う疱瘡の噂
どんな伝承か
ほうそうは厄病のなかで最も恐れられ、軽い人でもジャガになると心配された。米沢でも天明三年に大流行し、次いで寛政七年には多くの死者も出た。上杉鷹山の子顕孝も寛政六年に江戸でほうそうにかかって死去している。「柏寿様のような御医者がほしい。ジャガになるとも死にやしまい」と俗謡にうたわれたほどで、あちこちの寺に夕方になると赤い頭巾をかむった亡者が現われ、この唄を口にしたという噂も流れた。やがてほうそうは全置賜にひろまり、寛政九年には小国地方に及んで七百人余の患者のうち百人余が死んだという。患者は山中に隔離され、成島の山に死人を埋めたなどという話もある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
置賜の庶民生活2(民間信仰)――俗信・ワカ・死霊(置賜民俗学会ほか・置賜の庶民生活・民俗調査)
『置賜の庶民生活2(民間信仰)』所収の禁忌・卜占・予兆・生活の中の神々・死霊。山形県置賜地方に伝わる民間信仰を採録する。