義仲の落武者が兜を沈めたかぶと淵
どんな伝承か
源平の争いで平家を破って都に入った木曽義仲は朝日将軍とうたわれたが、まもなく頼朝の軍に攻められて粟津の原で討たれ、巴御前や家来たちは散り散りに落ちのびた。そのうちの一人の部将が川浦谷の納古の川べりで馬を止め、兜を淵に投げ入れてこの地に住みついた。そこでこの淵をカブトブチと呼び、馬を止めた岩には蹄の跡が残るのでコマヅカと呼んだ。のちにこの淵は雨乞いの淵ともなり、水をさらうと大きな鰻が現れ、雨乞いをして水を元どおり満たすと大雨が降るという。近くの経塚には経筒が納められ義仲の供養をしたともいい、川浦に朝日という姓が多いのはこのためだと伝わる。
原典より
落ちゆく部将のひとりは、川浦谷(三和)納古の川ぶちに駒をとめ、かぶとを淵に投げ捨ててこの地に住みついた。—— 美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史)
『美濃加茂市史 民俗編――伝説』は、美濃加茂市の市史民俗編のうち、第一三章「俗信」と、第一四章「伝説 昔話 世間話」の総説および第二節「伝説」を収めたものである。天候・農事・人事にかかわることわざと俗信、民間療法、樹木の禁忌を挙げたうえで、伊深・蜂屋・太田・三和など市内各地区に伝わる三度栗、龍宮さまの淵、火塚、山男、かぶと淵などの伝説六十四話を記す。昔話・世間話の節は含まず、伝説の多くは題に伝承地区の名を添える。