小山弁天堤に祀られた蛇彫りの弁天
どんな伝承か
小山弁天堤の下に弁天如来の木像が祀られていた。ところどころに蛇の形が彫られた古い像で、平泉藤原氏の時代に建てられたとも、この地を開いた岩渕右近の氏神であったともいい、参詣者が毎日群れをなして絶えなかった。堂は堤の中央にあり、参詣者は朱塗りの小舟で渡って拝んだが、のちに朱塗りの太鼓橋が架けられた。境内には出店が並び、七十歳の老女を頭に三十人余りの乞食が住みついて明治初めまで続いた。像は宮城県の金華山神社と夫婦だといい、毎年金華山の牡鹿が神の使いとして来て住んだと伝える。堤の池跡は干拓されて水田となり、堂は堤跡東方の岩渕家の屋敷内に移して祀られている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。