上幅に鎮座する高山稲荷の来歴
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どんな伝承か
陸奥国胆沢郡には葉幅の荘と称する豊饒の地があった。文治の昔、源頼朝が藤原泰衡を追討した後この地を葛西三郎清重に与えてより一庄を区別し、地形の高い所を上幅、低い所を下幅と唱え、また北下幅・南下幅と号したという。上幅の地に高山稲荷の社があり、孝謙天皇の御代に鎮守判官大野朝臣が勧請したもので胆沢宗官と号し、素盞烏尊の御子倉稲魂命を祭る。百年の後に再興され、年々九月九日と十日を縁日とした。北下幅には今も稲荷田と唱える地があり、その傍らの屋形を高山殿と申したと伝える。
原典より
抑豊芦原の北東なる陸奥国胆沢郡に、葉幅の荘と称する豊饒の地ありしが、人皇八拾二代後鳥羽院の御宇文治の昔、右大将頼朝卿藤原の秀衡子息泰衡御追伐の後此地を葛西三郎清重に賜りてより一庄を区別し、地形の高きを上幅と称し低き所を下…—— 胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史・自治体史(民俗))
岩手県胆沢町の伝説・昔話を網羅する。第一節は高山掃部長者と松浦佐用姫の物語で、薬師如来本地松浦佐夜姫誕生記、高山掃部長者竹生嶋弁財天胆沢物語、『南部叢書』所載の奥州胆沢高山実伝(高山稲荷の由来、嘉門長者の妻が嫉妬で大蛇に化し止々井の大堤に隠れて人を害し、美女を牲に供える年番が定められ、遠州小夜の中山から小夜姫が身売りして奥州に下り、牲に上るが神明仏陀の冥助で害を免れ大蛇の骨角を埋葬、潟岸薬師・諏訪明神を祀る)など複数の版と考証を収める。
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