岩窟に潜んだ賊と祈雨の移ヶ岳観世音
どんな伝承か
往昔、奥羽は蝦夷の居住地で、その酋長大多気丸は霧島山にあり、移ヶ岳にはその与党が多くいたという。山の西北部の「東の籤」の岩窟にはサトリ、「岩窟耕地」にはヒラリ、「龍ヶ負」にはトムラ、「ヶ久保」にはイワクグ、「敵こもり」には赤頭四郎という者がいたと伝えられる。坂上田村麻呂は東征に成功すると、報賽のため山上に神離を結んで大山祇神と天熊大人神を祀った。嵯峨天皇の弘仁年間、奥羽が七か年の旱害に苦しんだとき、この社に祈雨の幣帛を捧げたところ三日にして大雨となったという。以来、山の鎮護、農業と馬の神として遠近から参詣者が相次いだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
船引町史 民俗編――昔話と伝説(船引町(編)・船引町史・自治体史(民俗))
『船引町史 民俗編』第十一章所収の昔話と伝説。福島県船引町(現田村市)に伝わる口承を採録する。