岩窟に潜んだ賊と祈雨の移ヶ岳観世音
どんな伝承か
移ヶ岳はかつて蝦夷の拠るところで、酋長大多気丸は霧島山にあり、この山にはその与党が多くひそんだと伝わる。西北の岩窟にはサトリ、岩窟耕地にはヒラリ、龍ヶ負にはトムラといった者らの名が残る。坂上田村麻呂は東征を果たすと、報賽のためこの山上に神座を結び、大山祇神と天熊大人神を祀った。近くには黒白まだらの天気見石があり、白く見えれば翌日は晴、黒ければ雨と読んだという。弘仁年間、奥羽が七年の旱に苦しんだ折、この社へ祈雨の幣を捧げたところ三日で大雨になったと伝えられ、以後は田村氏歴代の厚い信仰を受けた。明治三年に社殿が再興され、移ヶ岳神社と改められた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
船引町史 民俗編――昔話と伝説(船引町(編)・船引町史)
『船引町史 民俗編――昔話と伝説』は、船引町が編んだ町史民俗編のうち、第十一章「昔話と伝説」を収めたものである。昭和五十三年春から町内を回って集めた昔話を話者の名を添えて土地の言葉のまま載せ、坂上田村麻呂や安倍貞任にまつわる地名・社寺の由来など町内の伝説を併せて記す。第一節では語り収めの句、葉煙草ののし作業を語りの座とした伝承の環境、語り手の系譜を論じ、第二節では伝説を自然・歴史・宗教の三つに分けて紹介する。