倉吉あたりに多いといわれたとうびょう狐
どんな伝承か
宝暦五年に没した因幡藩士上野忠親の『雪窓夜話』は、伯耆のとうびょう狐について次のように伝える。伯耆には村ごとにとうびょうを持つ者がいて、ことに倉吉のあたりに多いという。国の決まりがきびしく、とうびょうを持つといえば人に嫌われるので、その家の者は深く秘して口外しない。とうびょう狐はふつうの狐とは別の種類で、姿は狐だが小さく、いたちほどの大きさしかない。見た者も多くいる。この狐には主がいて、先祖から子孫へと伝わり、その家を離れないという。
原典より
これは、とうびよう狐といつて、常の狐とはかわりて、別の一種の狐なり、形は狐にて、常のものより甚だ小さく、大いさいたち程あり。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。