豊後の犬神
どんな伝承か
宿毛湾から豊後水道を渡った大分県の豊後も名高い犬神地帯で、北は国東半島の海岸から姫島に及ぶが、本場は県南で、臼杵から津久見を経て佐伯に至る海岸はとくに根強く、犬神という言葉を口にすることさえはばかられる。佐伯市からバスで三十分ほど山道を下った米水津の浦々のうち、犬神持ちが最も多いとされる田鶴音の浦を歩くと、三十九戸のうち犬神持ちの家は日当たりが悪く湿った低地に固まり、先に来た家々は山手に構えていた。低地に住むしかなかった犬神持ちは後から来た者と推測される。石塚尊俊は、津久見郊外の浦では魚の行商人や山陽から来た猿廻しが住みつき、排斥されたのが犬神の始まりと伝えると紹介している。
原典より
私は宿毛湾を後に、フェリーで豊後水道を横断した。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。