山本家の系譜
どんな伝承か
二番目にとりあげる山本家は「大狐持ち」と呼ばれ、狐持ちの中でも一段と位の高い代表格とされる。もとは分家の出だが、農業における商品生産、とくに木綿の生産と流通に資本を投じて莫大な利益をあげ、短期間で松江藩第一の寄生地主に躍進した。安永年間にはすでに一五〇町歩近い小作地を持つ。狐持ちの指定は本拠の神門郡知井宮本郷ではなく小作地のある隣村で起こり、山本家は訴訟を起こして松江藩に触書を出させ、郷中と寺社・山伏を取り締らせるほどの実力を持っていた。寛文九年に約二〇石だった本家東和久里の持高は享保元年には五〇〇石に及び、そこから分家したのが中和久里である。
原典より
二番目にとりあげる山本家は、別名「大狐持ち」とよばれる。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。