再び狐持ち打破運動起る
どんな伝承か
狐持ちの家という理由で結婚を阻まれた男女の隔地心中事件は、狐持ち迷信への死の抗議として受けとめられ、迷信打破は焦眉の急と考えられた。まず出雲地方で狐持ちのもっとも多い湖陵村で声があがり、村長の中尾順右衛門が先頭に立ち、婦人会や青年団がこれに続いた。狐持ちにたいする差別をなくす署名運動が行なわれ、白と黒との結婚が意識的に強行されて、通婚の自由を叫ぶ声は村をあげての住民運動の様相を示したという。これに続いて木次町日登地区でも加藤歓一郎の指導による結婚純化運動が青年男女によって展開され、狐持ちとの通婚が若者ぐるみで支持された。隠岐島前の海士村でも人狐解消決議案が村会で可決された。
原典より
この心中事件は狐持ち迷信への死の抗議として受けとられた。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。