石笛で神がかりを導く幽斎研究会
どんな伝承か
一八九八年四月三日、御岳教入りを決めて舞いのさらいをしていた喜三郎のもとへ、稲荷講社の拡張員三ッ屋喜右衛門が神がかりの噂を聞いて訪ねてきた。講社の趣旨にひかれた喜三郎は入信を承知し、三ッ屋から幽斎の修行を教わった。神主が両手を組んで目を閉じ、審神者の吹く石笛に誘われて神がかりに入り、審神者がかかった神霊の正邪を見分けるという行である。喜三郎自身は神がかりにうまく入れなかったが審神者はすぐ務まるようになり、穴太で幽斎研究会をつくった。多田ことを神主とし、六歳の妹ゆきや斎藤しづら女七人と男一人が加わり、一日十二回の特訓を重ねた。
原典より
喜三郎は、神がかりには、うまく入れなかったが、審神者はすぐつとまるようになった。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。