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高熊山の岩窟で一週間の神秘体験

所在地京都府亀岡市曽我部町穴太(高熊山)
年代明治31年(1898)3月
登場上田喜三郎、出口王仁三郎、本田親徳、霊界から教えを授けたとされる先達(神名・異玉彦命)
出典鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論

どんな伝承か

明治三一年三月一日、上田喜三郎、のちの出口王仁三郎は、夢遊病にかかったような状態で郷里の高熊山に登り、その岩窟の中で一週間静坐を続けた。王仁三郎自身は別の箇所で、この高熊山の修行を明治三十一年二月のことと語っている。また別の箇所によれば、修行のきっかけは侠客ともめて暴行を受けたことで、夢うつつのまま山頂の岩屋にたどり着いた彼は、木之花咲耶姫命の使いの松岡芙蓉仙人に導かれて富士山へ連れて行かれ、宇宙の過去と未来も見せられたという。この間に神界・霊界・現界をめぐって見聞きしたことを後にまとめたのが、大著『霊界物語』だとされる。喜三郎はこのとき、異玉彦と名乗る霊人から、のちに大本の三大学則となる神訓や、鎮魂帰神すなわち幽斎の法を教えられたと述べている。別の箇所ではこの霊人を、霊界にいる本田親徳(神名が異玉彦命)としている。本田の霊学を実際に伝えられたのは、その翌月、本田の弟子の長沢雄楯を通じてであった。本田親徳が遺言で、十年後に丹波から訪ねてくる青年がこの道を開くと予言していたのは、その翌年にあたる。

原典より

ところがその前年の明治三一年(一八九八)三月一日、上田喜三郎は夢遊病のような状態で郷里の高熊山に登り、その岩窟の中で一週間静坐を続ける、という神秘体験をした。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)

『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。

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