引き倒された大神殿・五六七殿
どんな伝承か
一九三六年五月、京都府の指示で綾部と亀岡にある大本教の施設の取り壊しが始まった。綾部の神苑には警官が出動し、数百人の人夫が駆けまわって、戦場のような騒ぎとなった。五百六十七畳敷きの大神殿・五六七殿は、柱を切られて根元に綱をかけられ、掛け声もろとも引き倒されると、地響きを立てて崩れ落ち、土煙が一面に立ちこめた。神苑に並んでいた至聖殿や教祖殿、統務閣などの建物も次々に壊されて瓦礫の山となり、人工の池の金竜海は周りの木を伐られ、島を崩して埋められた。
原典より
人夫たちが、五百六十七畳敷の宏壮な五六七殿の柱を切り、柱の根もとにロープをかけて、かけ声とともに引きたおすと、この大神殿は地ひびきを立てて倒壊し、土煙が一面にたちこめた。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。