雄物川を溯った神功皇后と船玉神社
どんな伝承か
昔、神功皇后は三韓征伐の帰途に北海を巡遊したという。一説には暴風にあって流され、秋田の海岸に漂着したとも伝えられる。皇后は現在の男鹿半島に着くと雄物川を溯り、岩見川に入って岩見三内の地から船岡の宇津野に入り、祠を営んで船玉神社を祀った。岩見川の名は、水が清く河底の岩までよく見えることに由来するという。その後、君ヶ野を経て神霊を奉じ、境の西北十町余りの日殿山に仮殿を設けて数ヶ月滞在した。唐松神社には、このときの皇后の御腹帯が納められていると伝えられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第2巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第2巻』は、岩手・宮城・秋田の三県に伝わる伝説を話の型ごとに集めた伝説資料集である。山の争いや沼の主の手紙、巨人の足跡、八郎太郎、ザシキワラシ、河童、掃部長者などの伝説を、口承の聞き書きと近世以降の地誌・縁起から採る。凡例のとおり各項は伝承地を示した例話を冒頭に据え、〔類話〕〔文献〕〔参考〕を続け、柳田・高木による話型名を添えた項もある。