宮島郷の俊寛塚と娘の比丘尼塚
どんな伝承か
治承年中、俊寛僧都が鬼界島へ流されたとき、丹波少将成経の舅にあたる平教盛の計らいで、その領分である越中国宮島郷に隠れ住むことになったという。やがて成経と康頼の二人は赦免されて都へ帰ったが、俊寛はこの地に留まり、ついに生涯を終えた。屋敷の跡にそのまま築いたものか、十四間四方ほどの小高い塚が残り、境墓と伝えられている。その西北一町ばかりの所には比丘尼塚がある。父を尋ねて来た僧都の娘が老いを助け、亡きあとも庵を結んで弔い続けて果てた、その印の塚だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第6巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第6巻』所収の「文化叙事伝説」全44話(福井・富山・石川=北陸)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。