山室城史が記す兼高の大蛇退治
どんな伝承か
順徳天皇の御代、建暦二年の初春のこと。伯耆国久米河村の庄司の後胤・式部少輔兼高という武士が、建暦の乱で国を退き、伊勢国四五百森のあたり、今の松阪の陣屋の地に住んだ。居城を構えようと近辺を見回るうち、山室に夫婦の大蛇が住むという古歌を聞き、ここに城を築けば名城になると思い立った。神山の申酉に夜ごと光り物が飛ぶのを見て大蛇の住処と察し、分け入ると東西に二つの池があった。兼高は東の池の大木の洞に隠れ、西の池では空井戸に潜んで獅子頭をかぶり、大蛇を退けて赤子を投げ入れた。三月十五日と十八日に見ると大蛇は死んで浮いていた。兼高は空井戸を石神、大木の洞を若子の社として祭り、この地を山室と号したと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第9巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第9巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全100話(奈良・大阪・和歌山・三重=近畿南部/紀伊)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。