矢の当たった景清の矢中松
どんな伝承か
天保六年に森山伊予部定志が撰した碑文の伝え。勝日の麓、富水の隈に一本の大きな枯木があり、土地の人はこれを景清の矢中松と呼ぶ。むかし平氏の将である藤原景清が雲州の宰将となり、月山の山上に城を築こうとしたが、古い八幡の廟があって城を置くのに不便であったため、他所へ移そうと考えた。そこで矢の達する所を祈り、夜、空中へ矢を射たところ、その矢がたまたまこの木に当たった。それによって廟を今の地へ遷したという。木は枯れ朽ちて幹だけが残り、土地の人が惜しんだと記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。