生湯の腰懸石と八合升の石
どんな伝承か
和泉式部が歌枕修行のため長沢村の内の初生湯を通りかかったとき、産気を覚えてしばらく腰を下ろした石があり、今も式部の腰懸石と呼ばれているという。式部はその所の民家に宿を取り、空腹だというので粥を炊かせた。どれほど炊きましょうかと問われて適当にと答えたところ、家の者は一升と申したが実は八合しか炊かなかった。今も八合升の形をした石があり、初生湯の池も残ると伝える。ここで無事に出産を終え、三角村の橋を通るときに小式部を落としたので、その橋を式部の子落し橋という。岡崎村では子が夜泣きするので橋詰の地蔵に願をかけ、告げに従って橋を削り火を灯すと夜泣きは止み、これを周布村の夜泣き橋と呼ぶという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。