武穀王の悪魚退治
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どんな伝承か
景行天皇二十三年、南海の土佐沖に船を呑み人を食う大魚が現れ、讃岐の椎門などを荒らしたので、日本武尊の御子・武穀王が退治を命じられた。王は八十余人の兵士とともに、阿波の鳴門へ移った大魚に立ち向かい、呑まれて毒気に当てられながらも、火を放って焼き斬り殺した。その大魚を埋めて塚を立て、骨で本尊を刻んだのが今の魚御堂薬師如来である。腹部が埋め残された地を福江、尾が海まで続いた地を江尻といい、毒に倒れた兵士は白峰山から雲に乗って来た童子の与えた瓶の水で蘇生した。その水を八十蘇水といい、童子は福江町の横潮明神だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第12巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第12巻』所収の「文化叙事伝説」全139話(香川・徳島・愛媛・高知=四国)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。
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