大魔縁を誓い天狗となった崇徳上皇
どんな伝承か
崇徳天皇は鳥羽天皇の第一皇子だったが、出生をめぐる噂から父帝に疎まれ、譲位を強いられ、わが子の即位もかなわなかった。父帝の没後、藤原頼長と保元の乱を起こして敗れ、讃岐に流されてその地で没した。『保元物語』によれば、上皇は日本国の大魔縁となろうと誓い、怨念の炎と化して生きながら天狗の姿になったという。白峰山に葬られたのちも院の怨霊はたびたび現れ、深い恨みを残した方として崇徳院の諡号が定められた。
原典より
生きて生ききれず、死んで死にきれなかったのが崇徳上皇であった。—— 日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路)
『日本の幽霊たち――怨念の系譜』は、阿部正路が書きおろした日本文学の幽霊論で、刊行は日貿出版社が手がけた。『竹取物語』『源氏物語』『平家物語』などの物語、『日本霊異記』から『遠野物語』『聴耳草紙』に至る説話、能と歌舞伎、さらに三遊亭円朝・泉鏡花・森鴎外・小泉八雲らの近代の作品に現れる幽霊をたどり、怨念の系譜として読み解く。第一章で幽霊の時・季節・姿・場・目的を論じ、終章で稲生屋敷の物怪や百鬼夜行など幽霊の周辺に及ぶ。