切越名の由来と道端に残るハツ塚
どんな伝承か
『燈下録』が記す一宇山の合戦の話。長曽我部新左衛門親吉は防ぎきれず、手勢を引き連れて一宇山の間道を通り、土佐をめざして夜通し落ちていった。これを知った備中守の嫡子小野寺源六、八蔵の二男である小野寺六郎三郎、同じく安右衛門ら一族が大勢を率いて迎え撃ち、道をふさいで攻め戦い、落ちてゆく者の半ばを射殺し、あるいは討ち取った。新左衛門もこのとき八蔵の矢に当たって死んだ。この出来事から、以後この場所を切越名と呼ぶようになり、討たれた者を供養したハツ塚が今も道のかたわらに残っているという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第12巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第12巻』所収の「文化叙事伝説」全139話(香川・徳島・愛媛・高知=四国)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。