ピントコ坂と呼ばれる唐人塚
どんな伝承か
唐人塚は茂木街道の坂道にあり、俗にピントコ坂と呼ばれる。旻徳がなまった呼び名だという。何旻徳は唐の杭州で柳氏という娘と許嫁だったが、大守という役人に奪われ、寛永のころ故郷を捨てて叔父を頼り長崎へ来た。立派な若者になっても嫁を迎えようとしなかったが、ある正月、酔って丸山遊郭に迷い込み、筑後屋で柳氏によく似た阿登倭という遊女を見つけて通いつめた。阿登倭に懸想した町乙名が旻徳を贋金作りだと流言し、旻徳は西坂で処刑された。阿登倭は願い出て亡骸を引き取り、小島の坂に墓を作って葬り、あとを追って自らも命を絶ったという。傾城塚、俗においらん墓ともいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第13巻(山中耕作・宮地武彦(執筆・整理)/荒木博之(解説)・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第13巻――北九州(福岡・大分・佐賀・長崎)』は、福岡・大分を山中耕作、佐賀・長崎を宮地武彦が執筆・整理し、荒木博之が解説を担った伝説資料集の一巻である。姫島、うつぼ舟、百合若大臣、黒髪山の大蛇退治、平家谷、炭焼小五郎、河童、白米城など、北九州四県に伝わる伝説を題目ごとに収める。各題目は口承を重んじて選んだ例話を冒頭に据え、県別の類話を梗概にして伝承地と出典名を添え、近世以後の史料を文献として抜き出す編み方をとる。