壇ノ浦から硫黄ヶ島への漂泊
どんな伝承か
『三所大権現宮鎮坐本記』が伝えるところによれば、支度を整えた一行は元暦二年三月に壇之浦の陣を発ち、伊予の高島を経て日向の細島へ着いた。二十日には主上が関の戸に着かれたとの報せに豊後豊前の武士が早馬で集まり、休む間もなく細島を出帆する。逆風に阻まれて四月五日に隅州志布志の浦へ、さらに乗り戻されて種子島の浦田に着いた。島の領主大江澄遐は心ある者で、糧米や酒肴をたびたび届けて労わったが、島には勢力を争う者もあって身を寄せきれない。四月十五日にふたたび出帆し、隅州の内裏浦、大泊と伝い、資盛の問いに菊池行吉が西に煙の立つ硫黄ヶ島を挙げたので船を向け、元暦二年五月一日に長浜の浦へ着岸した。三日から二百余人が地を均し、二日で黒木の御所を造り、五月五日に三種の神器を先に立てて新殿へ入られたという。のち寛元元年五月五日の夜に主上は崩じられた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。