小石に経を書きつづけた俊寛
どんな伝承か
八百年の昔、清盛は自分に盾ついた俊寛・平判官康頼・丹波少将成経の三人を、薩摩潟の鬼ヶ島へ流した。康頼と成経は千本の卒塔婆に歌を書いては毎日海へ流し続け、そのうちの一本が宮島に流れ着く。折しも清盛の末娘が懐妊のあとに病んで、流人の怨霊のせいだと騒がれていたところだったので、二人はすぐに赦されることになった。残された俊寛は、浜の小石に経文を一字ずつ書きつけて祈り、その数は十七万にも及んだというが、小石は島から一歩も出て行かず、都では帰りたがっていないのだろうと思われた。彼は浜から一キロ半ほど奥の荒れ地の一角、藪山の裾で三十四歳から三十七歳まで暮らし、都から訪ねて来た弟子の有王丸に会ったのち、その地で息絶えたと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
山とお化けと自然界(西丸震哉・山岳・怪異エッセイ・1990年(平成2年))
『山とお化けと自然界』は、西丸震哉が旧著三冊を編み直し、一九九〇年に文庫版あとがきを付けた随筆集である。山や湿原の探検、チョウや小動物とのつき合い、酒の話とともに、横尾谷の岩小屋で出会った幽霊、木曾御岳の人魂、亡兄との交信、テレパシー、呪い殺しの実験、雨やみの術など、著者自身の体験した怪異をつづる。生き物・酒・山・兄との交信の四部からなり、あとがきに『未知への足入れ』『山だ原始人だ幽霊だ』『山の動物誌』を元にしたと記す。