一人だけ赦されず島で果てた俊寛
どんな伝承か
鹿ヶ谷で平家打倒を謀った一件は多田蔵人行綱の密告で露見し、藤原成親の子成経は、俊寛僧都・平康頼とともに薩摩国の鬼界ヶ島へ流された。のちに三人のうち俊寛だけが赦されず、天を仰ぎ地に伏して人目もかまわず泣き悶えた。俊寛はやがて自ら食を断ち、念仏を唱えて死んだ。その遺骨を携えて高野山にこもり、諸国をさすらった有王の話は、平家への怨念が俊寛一人や一つの島にとどまらず、国中に染みわたっていったことを物語っている。
原典より
鬼界ヶ島に流された三人のうち、俊寛だけが許されず、俊寛が「天にあふぎ地に臥して」人目もはばからず泣きもだえる。—— 日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路)
『日本の幽霊たち――怨念の系譜』は、阿部正路が書きおろした日本文学の幽霊論で、刊行は日貿出版社が手がけた。『竹取物語』『源氏物語』『平家物語』などの物語、『日本霊異記』から『遠野物語』『聴耳草紙』に至る説話、能と歌舞伎、さらに三遊亭円朝・泉鏡花・森鴎外・小泉八雲らの近代の作品に現れる幽霊をたどり、怨念の系譜として読み解く。第一章で幽霊の時・季節・姿・場・目的を論じ、終章で稲生屋敷の物怪や百鬼夜行など幽霊の周辺に及ぶ。