同船流刑囚の異なる運命
どんな伝承か
富蔵と同じ船で八丈島へ送られた流刑囚は、ほかに八人いた。僧の光学は女犯、上総木更津の久兵衛や常陸高久村の鶴松らは博奕や貸元胴取が罪名で、残りの四人も博徒であったらしい。その後の運命は八人八様だった。阪戸の金太郎は七年で島に死に、久兵衛は天保九年七月に抜け舟の一味に加わって島を出た。光学は十一年目に死んでいる。鶴松は弘化四年、才助は明治元年に赦されたが、死んだ光学にも逃げた伊助にも同じころ赦免状が下りており、遠島囚の記録はそれほど当てにならなかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。