吉良義央物語
どんな伝承か
元禄十五年十二月十四日の雪の夜、赤穂の浪士四十七人が江戸本所松坂町の吉良義央の屋敷に討ち入り、主君浅野内匠頭長矩の恨みを晴らした。芝居や映画で義央は悪人にされているが、生まれ故郷の幡豆郡横須賀村(今の吉良町)では名君として今も徳がたたえられている。近年まで村で忠臣蔵の芝居はできず、村の行事は大字岡山の義央の墓前で行っていたほどだった。義央は背撫山から黄山の麓まで黄金堤と呼ばれる堤を築いて水害を防ぎ、用水を開いて水田を作るなど民政に心を砕いた。領地へ帰ると赤馬に乗って領内を回り、気さくに領民に話しかけたといい、郷土玩具の吉良の赤馬はここから生まれたとされる。墓は岡山の華蔵寺にある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
愛知県伝説集(福田祥男・1961年(昭和36年))
『愛知県伝説集』は、福田祥男が昭和三十六年に著した愛知県の伝説集である。尾張・三河の山や海、淵や池、地蔵と観音、石や塚、城跡、地名、動物と変化、植物、祟りと怨霊などにまつわる言い伝えを、原型に忠実に再現することをめざして平易な文で語り直し、話の末に郡市名を添える。山の伝説から其の他の伝説まで十五の部に分け、あとがきでは前年に出した『愛知県伝説集・虹と黒潮』を全面的に改稿し増補したと記す。