山ノ井の清水に消えた采女春姫
どんな伝承か
昔、片平は塩ノ入郷と呼ばれ、安積地方の行政の地として国司や県主が館を構えていた。按察使として下向した葛城王は、年貢の滞納に怒って酒を断ったが、郡司の娘春姫が山ノ井の清水を汲んで盃に注ぎ、「安積山かげさえ見ゆる山ノ井の」と詠むと機嫌を直し、三年の免税を約して帰京したという。見送りの橋の上で王が春姫に何事かささやくと川の流れが止まり、以来その川を音無川、橋をささやき橋と呼ぶ。春姫は采女として宮中に召されたが望郷の念やまず、猿沢の池に投身を装って帰郷した。だが家族はすでに亡く、山ノ井の清水で身を清めて世を去り、里人が地形山頂に葬って采女塚としたと伝わる。
原典より
昔、人皇四十五代聖武天皇の頃、片平は塩ノ入郷と呼ばれ、安積地方の文化行政の発祥の地として、国司、県主が館を構え、民家も八百戸を数える程の繁栄であったという。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。