義家が大鏑矢を与えた矢給の渡し
どんな伝承か
寛治の昔、桜の咲く四月のことである。清原一族の追討を命じられた八幡太郎義家が兵を率いて奥州へ下り、田村の賊を平らげたのち、阿武隈川の福原の渡しにさしかかった。このとき福原水神館の館主渡辺権太夫が家来を従えて出迎え、義家をもてなした。義家は喜び、褒美として大鏑矢を授けたという。以来この渡し場を矢給の渡しと呼び、水神館も大鏑館と改められた。館跡にはいまも堀の跡が残り、お倉前・馬小屋前といった地名が伝わる。天正の久保田合戦では瀬上中務少輔の陣所にもなった。
原典より
源八幡太郎義家が東方の兵を従えて陸奥の豪族清原一族追討の命を受けてこの地に来たのは今を去る九百余年の寛治の昔、桜花咲く四月の頃であった。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。