川底から現れた観音と仏淵
どんな伝承か
多田野の勝音寺がまだ堀口の普門山にあった頃、堀口の百姓が夜、塚野川で漁をしていると、網が深い淵に入ったらしく急に重くなった。不思議に思ってすくい上げると、古い観音菩薩の像が出てきた。漁人は感激してただちに漁をやめ、像を家へ持ち帰ったが、自分には勿体ないとして勝音寺へ運び、時の住職慧眼和尚に子細を告げて特に願い、寺に納めた。和尚が仏を開眼して拝すると、御本体はまことに美しく人を惹きつけるようであった。和尚はその霊感を畏れて像を本尊として安置し、それまでの本尊は別に阿弥陀堂を建てて祀った。これより後、里人は塚野川のその淵を仏淵と称したという。
原典より
多田野の勝音寺がもと堀口の普門山にあった頃、堀口の百姓が夜、塚野川で漁をしていた時、網が深い淵に入ったらしく、にわかに重くなったので不思議に思ってすくい上げてみたところ、古い観音菩薩の像がでて来た。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。