五派の滝に沈んだ奥方と雨乞
どんな伝承か
湖南町三代の正福寺は元亀三年に如伯が開いた寺で、大檀那は三代城主小桧山縫殿之介であった。天正十六年の秋、会津合戦がまさに始まろうとするとき、縫殿之介の郎党が伊達方へ寝返って争い、城主は駆けつけた芦名方の督軍赤津弾正のため詰腹を切らされ、三代は廃城となった。山深い滝の入りへ逃れた奥方と五人の姫は、幾年月かののち食も尽き、五派の滝つぼに身を沈め、米も塩も与えなかった里人を恨んで死んだ。霊魂は蛇体と化して滝つぼの水を呑み干し、以後、水源からは一滴も流れず日照りが続いた。長栄和尚が姫たちの晴れ着を飾り、五派の滝を五大明王に配して雨乞供養を行うと、満願の日に恵みの雨が降ったという。
原典より
湖南町三代の正福寺は、元亀三年、如伯阿闇利の開創で、大橿那は地頭三代城主、小桧山縫殿之介であった。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。