義家が狼火台を置いた湖南の高峰
どんな伝承か
中地の奥、郡境にそびえる標高千二百メートルの八幡岳は湖南一の高峰で、深い樹林の下を山竹が覆う。天喜の頃、源義家がここに陣を敷いたことからこの名がついたと伝わり、山中には御陣場・御釜場・御坪庭などの地名が残る。三森峠の休み石で軍議を開いた義家が高峰を選んだのは、会津へ合図を送る狼火台の第一号とするためだったという。前九年の役では総大将としてこの山から軍を指揮し、向かい合う高旗山には旗を掲げて本陣を偽装した。康平年間、舟津川のほとりに敵の動きを見た義家は大鏑を射て士気を鼓舞し、河口の東岸で日本武尊を勧請して戦勝を祈った。舟津の鏑箭神社の縁起である。
原典より
八幡岳は、中地奥りの郡境にそびえ立つ標高千二百メートル、湖南第一の高峰で、全山うっそうとした樹林の下に、山竹が繁茂している。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。