拝殿を見守った高屋敷稲荷の白狐
どんな伝承か
三百年の昔、田村地方は何年も続く冷害で凶作となり、農民の貧困と飢餓は筆舌に尽くせなかったという。時の庄屋鈴木権兵衛は村内の安全と豊作を願って、正徳二年二月に京都の伏見稲荷を勧請した。それからは村が豊かになり、明和・天明の飢饉のときも高屋敷稲荷大明神の御神徳と加護が現れて、村内の犠牲者は少なかったという。昭和の初めまでは参道に赤鳥居が数千本も立ち並び、傘いらずといわれるほどであった。昭和九年の拝殿改築の折、大玉村の大工彫物師渡辺左近が仮拝殿に泊まって毎晩遅くまで働いたが、一匹の白い狐が毎晩同じ時刻に現れて工事の無事完成を見守ったという。大工は感謝してその姿を彫り刻み、御神宝として奉納した。
原典より
三百年の昔、田村地方は、何年も続く冷害により凶作となり、農民の貧困と飢餓は、筆舌につくせないものであったという。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。