伏見稲荷社中の作為降札
どんな伝承か
伏見では慶応三年十一月五日の朝、稲荷大社に稲荷大明神などのお札が降った。稲荷社の社中はさっそく祝宴を開いたと、稲荷大社の「日記」は伝えている。著者は、これは社人たちがみずから仕組んだものだったのだろうとみている。伏見を含む京都近郊は、十月半ばにはすでに京都市中から広がった騒ぎに巻き込まれており、近くの城陽町の踊り手たちも伏見まで繰り出していた。
原典より
伏見では、十一月五日の朝、稲荷大社へ稲荷大明神などの札が降った。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。