秀吉が伏見稲荷へ狐狩り強迫状
どんな伝承か
宇喜多秀家の娘に狐が憑いて困ったとき、太閤秀吉が伏見稲荷へ書状を送り、狐を退散させるよう求めたという有名な話がある。その書状は今も神主家の大西家に伝わるといい、柏崎永以の『古老茶話』などにもたびたび引かれている。書状は、浮田の娘が口走るのはきっと狐のしわざであろうから早く退けよ、そうしないなら日本中で狐狩りをすると迫るものだった。著者は、稲荷大明神を諸国の狐の元締めと見て頼んだというより、これは脅しだと評している。
原典より
有名な話であるが、宇喜多秀家の娘に狐が憑いて困った折、太閤秀吉が書を伏見に送り、これが退散を依頼したという事件がある。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。