朝を告げる起きろ太鼓と出ろ太鼓
どんな伝承か
昔、徳川幕府のころ、八山田村へ領主から、毎年鴨や雉子を納めよという申しつけがあった。そのため村では、雪の中を雉子などを追いかける行事になった。雪が降ると鳥を追いまわして捕らえ、領主に納めた。その狩りには必ず一戸から一人ずつ出なければならず、朝起きの合図として世話人が太鼓を叩いて朝まわりをし、次に皆出ろという合図の太鼓を叩いた。一番太鼓は「起きろ太鼓」、二番太鼓は「出ろ太鼓」であった。昔は時計がなかったので、太鼓で合図をして知らせたと伝えられている。
原典より
昔、徳川幕府のころ、八山田村へ領主の申しつけがあった。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。