湖底に沈んだ白砂郡四十九箇村
どんな伝承か
大昔、猪苗代湖の地は白砂郡と呼ばれ、菱形の庄が二十六箇村、月輪の庄が二十三箇村、あわせて四十九箇村、総高二万一千三百石があったと古文書に記されている。淳和天皇の天長二年三月下旬から、日中も闇夜のような妖雲がたれこめ、四月下旬には空中に雷のような音が響き、地の震動が止まらなくなった。七日ほどして大雨が滝のように降り注ぎ、たちまち湖になって四十九箇村は湖底に沈み、人も獣も数多く死んだ。天長三年九月には大震動で大陥没し、いっそう大きな湖になったという。生き残った人々は横沢の東北の山上に社を建て、大山祇命と羽山津見命を祀って祈願したところ、霧は晴れ五穀も稔るようになった。
原典より
大昔、猪苗代湖の地は、白砂郡と呼ばれ、菱形の庄が二十六箇村、一万一千石。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。