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御代村から三代村になった由来

所在地福島県郡山市湖南町三代
年代宝亀十一年
登場藤原小黒麻呂、伊治砦麻呂、紀広純、光仁天皇、殺害された按察使、本文が事件を置く帝
出典郡山の伝説

どんな伝承か

三代村は昔から安積郡の菱潟荘に属していた。菱潟荘は隠津島大神を筑紫から勧請して布引山の東麓に鎮座したところで、その地に菱潟池が残るという。以前は谷間ごとに部落があり、上町・落合・窪小屋・年頃内・前田・伝上などの名が残り、横町が中心であった。光仁天皇の宝亀十一年、陸奥上治郡の大領伊治砦麻呂が謀叛を起こして按察使紀広純を殺害し、蝦夷が反乱した。朝廷は藤原小黒麻呂を派遣してことごとく蝦夷を討ち従わせ、そのとき駐留した場所を伝上と呼ぶ。人々は御代万歳を祝して御代村と改名を請願し許された。その後この地を領した伊藤氏の三代目の領主が村を一村に集めたことから、三代村と呼ぶようになったと伝えられる。

原典より

三代村は、昔から安積郡の菱潟荘に属していた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))

『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。

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