黒森峠を越えた芦名の軍用金
どんな伝承か
天正十七年、芦名義弘は伊達政宗に敗れて常陸へ落ちのびるとき、若松城から百余騎に守られ、旧六月十日の正午に赤津の黒森峠にさしかかった。頂上から東の赤津盆地を見おろすと三千余騎の軍勢が峠へ向かっており、敵かと思ったが常陸佐竹家からの援軍だった。義弘は会津攻めを止めさせ、名を盛重と改めて高小屋峠を登り、福良奥の隠津島神社に武運長久を祈って常陸へ逃れた。赤津で馬十三頭分の軍用金を受け取り、湖南郷の大地頭伊東盛恒が水戸まで護衛したという。軍用金は湖西の鵜ノ浦に沈めたとの古文書があり、昭和初年に引き揚げが試みられたが出ず、実は舟で秋山港へ運ばれ、代官所まで届いていたという。
原典より
天正十七年、芦名義弘は伊達政宗に敗れて、常陸へ落ちのびるとき、若松城から百余騎の兵に守られて、赤津の黒森峠にさしかかったのは、旧六月十日、照りつける暑い日の正午である。—— 郡山の伝説(ふるさとの文化財調査事業・昭和六十一年(1986)刊/監修 大島建彦) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(ふるさとの文化財調査事業・昭和六十一年(1986)刊/監修 大島建彦)
福島県郡山市(旧安積郡・田村郡域、湖南・熱海・三穂田・逢瀬・西田・中田ほか各町)に伝わる伝説を、木/石・岩/水/塚/坂・峠・山/祠堂/家・村/祭礼・行事の八部門に分類して集成する。坂上田村麻呂や阿古陀媛・采女伝説・萩姫、源義家ら前九年の役の人物伝承、淵や池の主・龍神・河童、弘法大師の清水、稲荷・観音・地蔵の霊験、長者伝説や埋蔵金、隠れキリシタンなど、郡山の地に根ざした怪異・霊験・由来譚を伝承地つきで網羅する。