黄後藤と呼ばれた館ヶ崎館の主
どんな伝承か
昔、館ヶ崎館に後藤孫兵衛がいたことは、種々の古記録に載っている。それらには「孫兵衛は信康と号し、後に肥前と改めた」とある。後藤家は先祖の孫八郎基末の時に伊達家に仕え、たびたびの戦功によって置賜郡内に所領を賜り、さらに十四代孫兵衛の代となって軍旅奉行という役を仰せつかり、二千五百石の禄高であった。孫兵衛は性剛勇沈着果断で、また知略に富み、私心なくよく伊達家に仕えた。出陣に際しては黄色の羽織をまとったので「黄後藤」と呼ばれて敵方を恐れさせ、たくさんの勇ましい武勇談があったようである。明治初年、後藤氏の子孫の三浦運之助という人が、故郷が恋しく稲子からこの館ヶ崎を訪れたという。
原典より
昔、館ヶ崎館に後藤孫兵工がおったということは、種々な古記録に戴っております。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。