阿弥陀寺に籠った将門余党の最期と妙喜の焼身
どんな伝承か
興世王の郎党、榛沢六郎次郎貞友は権守の一子時王を伴って阿弥陀寺に出奔し、ひそかに時を待っていた。寺の門前に住む無頼の浪人浅香八郎太が妙喜の姿に恋慕して言い寄り、妙喜がこれをさえぎって教訓したため、恥じ怒った八郎太は、妙喜が謀反の余党を隠していると訴え出た。貞盛の郎党伊勢四郎が土兵を催して寺を囲み、貞友は門外で弁明したが聞き入れられず、土兵数人を殺して寺に入り、時王を刺し殺して自害した。妙喜はその隙に堂塔に火を放ち、火中に飛び込んで焼け死に、坊舎はすべて失われたという(永福寺蔵、正保四年書写の史料)。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。