怪光の悪神を祀った秩父妙見宮の由来
どんな伝承か
『郷土史研究資料』に紹介された享和二年の「秩父妙見宮縁起」によると、欽明天皇の御代に国司の申し出により大星太神と香香背男命を真名井の原に勧請して祀り、天武天皇の御代には疫病の流行に際して大己貴命を中野原に祀り、太神と合祀して妙見宮と称したという。大星太神は星の神で、香香背男命は高天原でときおり怪しい光を放って諸神を惑わせた悪神とされ、ともに星や光にかかわる神であった。中野原は今の宮地地区の妙見塚のあたりとされ、妙見宮はもともと秩父神社とは別に祀られていた。嘉禎元年に火雷の炎で焼失した後、妙見宮は秩父神社に合祀され、信仰の篤さから主神の位置を占めるようになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。