霊夢の名号碑が残る厄除け大師
どんな伝承か
川崎大師は皇室の信仰も厚く、江戸時代には将軍家も帰依し、徳川家慶はたびたび参詣したという。寺格が上がって参詣者が増え、江戸中期以降は関東有数の霊場として江戸っ子の信仰を集めた。境内には、字を知らなかった江戸の豪商紀伊国屋作内が大師の霊夢を見て南無阿弥陀仏の六字名号を書き上げたという石碑や、寛文三年の道標、芭蕉の句碑、竹本綱太夫の辞世碑など江戸時代の遺物が多く、寛文七年銘の銅鐘もある。明治の廃仏毀釈で一時さびれたが、今は初詣や一月二十一日の初大師に数十万人が訪れ、厄除けと交通安全の寺として賑わっている。
原典より
伝説は伝説を生むのか、文盲だった江戸の豪商紀伊国屋作内が、大師の霊夢を見て「南無阿弥陀仏」の六字名号を感得し、見事に書き上げたという石碑をはじめ、…—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。