衣笠城で討ち死にした三浦義明
どんな伝承か
石橋山で頼朝が敗れたころ、最大の味方だった三浦一族も窮地に立っていた。敗戦を知った三浦勢は酒匂川から兵を引いて本拠の三浦半島へ戻ろうとしたが、大庭方の畠山重忠の軍に追われ、鎌倉の小坪付近で戦ったのち衣笠城に引き上げた。そこへ圧倒的な兵力で攻め寄せられ、一族の長老で当主の三浦大介義明が討ち死にし、残る者は散り散りに海上へ逃れた。義明は頼朝の祖父源為義の有力な部下で、平家全盛の世にも源氏の恩を忘れず、頼朝の挙兵をもっとも喜んだ一人だった。すでに八十九歳でありながら、三浦党の先頭に立って奮戦し戦死したという。
原典より
この合戦のときすでに八十九歳だったが、三浦党のまっ先をかけて奮戦、ついに戦死したのであった。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。