相模川大橋の渡りぞめと暴れた頼朝の馬
どんな伝承か
建久九年十二月二日、茅ヶ崎の相模川の河原で、稲毛重成が亡き妻元子の供養のために架けた大橋の落成を兼ねた法要が営まれた。元子は北条政子の妹で、重成は妻の冥福を祈って出家し、人々に喜ばれるものとして架橋を思い立ったという。当日は源頼朝をはじめ幕府の重臣が集まったが、頼朝が渡りぞめに連れてきた馬が突然おびえて川に飛び込み、暴れ回った。頼朝は不吉な思いを抱きながらも、馬が橋を祝ったのだからこの辺りを馬入川と呼べと戯れたという。後年、大正の震災で下町屋中河原の水田から橋脚が現れ、この橋の実在が確かめられた。
原典より
その具体的なことといえば、彼が渡りぞめ用にひいてきた乗馬が、何におびえたのか突然狂い出し、川の中にとび込んで暴れ回ったのである。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。