修禅寺に幽閉された頼家と比企一族の滅亡
どんな伝承か
源頼朝の死後、十八歳で跡を継いだ頼家は、乳母の一族である比企氏に甘やかされて育ち、将軍として勝手な振る舞いが続いた。北条政子と北条時政らは頼家の親裁を止めて合議制を敷き、やがて頼家は北条氏を除こうと比企能員と密議をこらしたが、これを政子が障子の陰で聞いていた。北条方は能員を暗殺し、頼家の長男一幡もろとも比企一族を滅ぼした。危篤から持ち直した頼家は激怒したが、将軍職を奪われて伊豆修禅寺に押し込められ、翌年その地で殺されたと伝わる。
原典より
奇跡的に危篤状態を脱した頼家は、この北条一族のクーデターを知って激怒したが、すでに遅く、九月七日、将軍職を奪われて伊豆修禅寺に幽閉された。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。