谷が九十九に足りなかった弘法山
どんな伝承か
越生の町はずれにある弘法山には、弘法大師にまつわる話が伝わっている。中腹の観音像は大師が彫ったものだといい、また大師が諸国を行脚していたころ、この山に登ってここを霊山にしようと考えたが、まわりの谷を数えると九十九に一つ足りなかったので、思いとどまったともいう。著者は、どちらも弘法山という山の名に後から結びつけた伝説で、古書には高房山とも書かれており、実際には大師と関わりはないとみている。
原典より
ここの観音像は弘法大師が彫ったものだとか、また大師が諸国行脚のとき、この山に登り、霊山にしようと考えたが、付近の谷の数が九十九谷に足りなかったので、やめたとかいうはなしがある。—— 秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年))
『秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行』は、神山弘が一九八四年に著した伝説探訪の紀行である。越辺川の流域や高麗郷、富士山のある村々、竹寺、武甲山と三峰山、宝登山、釜伏峠と粥新田峠など埼玉県西部の山村を歩き、土地の古老からの聞き書きと『新編武蔵風土記稿』などの記録を交えて、竜や大蛇、天狗、幽霊、将門などの伝説を語る。土地ごとの章に小見出しを立てた随筆体で、著者の前著『ものがたり奥武蔵』で扱わなかった土地を主にとりあげる。