渡来の伝承が残らない高麗郷の謎
どんな伝承か
『続日本紀』には霊亀二年、七か国の高麗人千七百九十九人を武蔵国に移して高麗郡を置いたとあり、日高の高麗神社と聖天院のある旧高麗村がその地とされる。ところが著者が民話採集で歩くと、将門や坂上田村麻呂の伝説は残るのに、朝鮮からの渡来にまつわる話は一つも語り継がれていなかった。駅前の長丞は鉄道開通時の宣伝用で、若光の墓という石塔も後代のものだった。二千人近い移住という大事件が住民の記憶から消えているのは不思議で、著者は、命じられた国司が実行したように見せかけて報告しただけではないかとまで推理している。
原典より
そのとき不思議に思ったことは、前記の将門や、坂上田村麿などの伝説が残っているのに、朝鮮からの渡来に関したはなしは、何一つ語りつがれていないことであった。—— 秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年))
『秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行』は、神山弘が一九八四年に著した伝説探訪の紀行である。越辺川の流域や高麗郷、富士山のある村々、竹寺、武甲山と三峰山、宝登山、釜伏峠と粥新田峠など埼玉県西部の山村を歩き、土地の古老からの聞き書きと『新編武蔵風土記稿』などの記録を交えて、竜や大蛇、天狗、幽霊、将門などの伝説を語る。土地ごとの章に小見出しを立てた随筆体で、著者の前著『ものがたり奥武蔵』で扱わなかった土地を主にとりあげる。